2chまとめのまとめ速報

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豊臣秀吉 側室の淀殿より身長が28cmも低かった

   

1: ニールキック(東日本)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 09:25:25.59 ID:er/R5Ax20 BE:837857943-PLT(16930) ポイント特典
小学校の頃から学んだ歴史の教科書により、我々は偉人の顔を想像することはできるが、身長や体重についてはまったく未知だ。しかし、
『日本史有名人の身体測定』(KADOKAWA)の著者で、歴史小説家でありながら現役の整形外科医でもある篠田達明氏は、肖像画や衣服、甲冑、
書物などから偉人の体型を推定している。歴史上の偉人たちは、どんな体型だったのか。

江戸幕府を開いた徳川家康の体型は想像通りだ。

「徳川幕府の歴代将軍は死後、身長と同じ高さの位牌を大樹寺に納められる。そこから身長は159cm、70kgと推測した。肩幅の広い肥満体ですが、
節制して75歳まで長生きしている。慎重な性格からか、生モノには一切口をつけず、性病を恐れ、遊女も遠ざけたと言われている」(篠田氏)

篠田氏が「実は家康が恐れていた」と言うのが、豊臣秀吉の後継者・豊臣秀頼だ。

「秀吉の側室で秀頼の母・淀殿は女性の平均身長が149cmの戦国時代に168cm、65kgの大柄な女性だったと伝えられる。
180cmを超える巨漢だった父・浅井長政の遺伝でしょう。

秀頼も浅井家の血を色濃く受け継いだようです。古文書には、『六尺豊かで目元涼しく、気品に満ちた面立ちの見栄え良い青年』と残っており、
180cm、80kgのがっしりした体躯。家康は秀頼と面会した際、カリスマ性を感じ、脅威を覚えて、豊臣家滅亡へ急いだとも言われている」

篠田氏は、秀吉についても体型を割り出しており、「140cm、45kg」という数字を算出している。ということは、秀吉は側室の淀殿より28cmも小さかったということになる。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160719-00000002-pseven-life
秀吉は淀殿より28cm小さかった?
転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1468887925/
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http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5076530.html
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